関宿 ―東海道五十三次47番目―
先日、仕事で亀山市は関宿に行ってきました。
関宿は江戸と京都を結ぶ東海道五十三次47番目の宿場で、
東の追分からは伊勢別街道、
西の追分からは大和街道が分岐する
古代からの交通の要衝でありました。
現在でも古い町並みがよく保存されていて、
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
この日もたくさんの観光客が訪れていました。
東の追分には伊勢に向かう入り口として、
遷宮のたびに伊勢神宮は宇治橋に立つ鳥居が
移築されるということでした(写真下段中央)。
写真の寺院は地蔵院 といい741年(天平13年)の開創。
本堂、愛染堂、鐘楼が国の重要文化財に指定されていて、
この寺院の開眼供養では面白いエピソードがありました。
地蔵の開眼(カイゲン)供養をたまたま通りあわせた一休(イッキュウ)禅師(1394~1481)に頼んだところ、禅師は地蔵にむかって「釈迦はすぎ、弥勒(ミロク)はいまだ出でぬ間の、かかるうき世に目あかしの地蔵」と詠(ヨ)み、前をまくって立小便をして立ち去った。人々は怒って別の僧に頼んで開眼供養をやりなおしたが、その夜世話人に高熱が出た。夢枕に地蔵が立ち、せっかく名僧の供養で開眼したのにと、供養のやりなおしを命じた。あわてて桑名の宿にいた禅師に助けを求めると禅師は古びた下帯をはずして地蔵の首にかけるよう手渡した。人々は半信半疑で言われた通りにすると、世話人の高熱はたちまち下がったという。関の地蔵が首に麻の布切れをまいているのはこの故事によるとか。
(東海道五十三次 関宿ホームページより引用)
http://www.sukidesu.jp/sekijuku/
このとき開眼供養を受けたものと同じかは分かりませんが、
境内には随分と年を重ねてきたであろうお地蔵様が
祭られています。
左の写真は一休禅師の肖像ですが、
どうみても槇原敬之にしか見えない!
みなさんどうですか??